西川家は代々京の御所御用の大工組だったと伝えられており、初代仁右衛門は戦国時代の天保年間に近江国蒲生郡南津田村で生まれ、永禄年間に19才で商売を始めました。
西川家ではこの年をもって創業の年としています。
この後、仁右衛門は天正年間に城下町となる八幡町に移住しました。
記録では仁右衛門はこのとき、大工組の調査役などを務め八幡堀の公示で活躍したことが記録されてます。
しかし、商いの道を捨てがたく、再び天正年間に屋号を山形屋として商売の道に戻り、さまざまな物産の行商を始めました。
慶長元年(1596)には、今の石川県に出向いて越前から仕入れた蚊帳を商い、帰りには塩さばなどを買って地元に戻り、魚屋に卸すという、いわゆる産物回しの原型を作ったとも言えます。
初代仁右衛門は、行商に息子を交代で連れて行き、商感覚を学ばせたことは有名です。その時の四男甚五郎が二代目となり、蚊帳づくりに並々ならぬ情熱を燃やし、生地を萌黄色に染めて緑に紅布をつけた萌黄蚊帳を創案し、当時大ヒット商品となったそうです。
この後蚊帳ののほかに近江表(畳表)も美濃や尾張に出張販売し好評を得て、その8年後には三河遠江まで出かけ商売に励みました。そのおかげで事業は順調に伸び、江戸だけで四ヶ店を持つ程の隆盛となりました。
七代目利助は六代目の長男に生まれ、明和八年(1771)に家督をつぎました。七代目利助は仏事を鄭重にする精神家でもあり、また、経済人としても優れた業績を残した西川家「中興」の人でもある。
この時代、火事や大地震による被害を何度もうけ、このような災害に対してその復旧費用は全面的に被災者の負担となった。
西川家ではこのような不時の出費に備えて積立金制度をととのえてきたが、この積立金制度をより充実し制度化したのが七代目による寛政十一年(1799)の改革である。
その他、西川家の体制を強化する様々な改革を行った七代目であるが、創業以来の古記録を整理複写し、現在我々が西川家創業以来の経過を知る手がかりとなるほとんどの史料は七代目によって整理された物である。